2026年10月2日、読売テレビ制作の情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』が最終回を迎えた。2006年7月31日の放送開始から20年。最終放送は通算5134回となり、宮根誠司が司会を務めた昼の看板番組が、その歴史に幕を下ろした。
番組終了が初めて明らかになったのは2026年2月12日。宮根本人が生放送で9月末の卒業を発表し、視聴者への感謝と新しい仕事に挑戦したいという思いを語った。最終回では、将棋の藤井聡太六冠と師匠・杉本昌隆八段の師弟インタビューをはじめ、20年間を振り返る特別企画が放送された。読売テレビの公式発表と報道各社の最終回取材をもとに、終了までの経緯、宮根の卒業理由、出演者、番組の功績を整理する。
【ミヤネ屋最終回はいつ?】2026年10月2日に放送5134回で終了

『情報ライブ ミヤネ屋』の最終回は、2026年10月2日(金)午後1時55分~午後3時50分に放送された。
読売テレビが10月2日に掲載した公式告知では、2006年7月31日に始まった番組が、通算5134回目の放送をもって最終回を迎えることが明記されている。
放送は読売テレビ・日本テレビ系の全国28局ネット。最後まで平日の午後を彩る全国ネットの情報番組として放送された。
9月末終了と10月2日最終回はどう違う?検索する人が混乱しやすいのが、「9月末終了」と「10月2日最終回」という2つの日付だ。
2026年2月12日の終了発表で、宮根は「9月末をもって卒業する」と説明した。その後、読売テレビの最終回告知によって、実際の最終放送日が10月2日(金)と明らかになった。
つまり、終了発表時の説明と、実際に最後の放送が行われた日付を区別する必要がある。
| 確認項目 | 正式な情報 |
|---|---|
| 番組名 | 情報ライブ ミヤネ屋 |
| 最終放送日 | 2026年10月2日(金) |
| 放送時間 | 午後1時55分~午後3時50分 |
| 最終放送回数 | 5134回 |
| 放送開始日 | 2006年7月31日 |
| 放送期間 | 約20年 |
| 制作局 | 読売テレビ |
| 放送ネット | 全国28局ネット |
| 最終回の特別企画 | あのニュースの主役を直撃&大表彰SP |
最終回は、単なる通常放送の延長ではなかった。
冒頭では2006年の初回放送映像が流れ、当時43歳だった宮根の姿も紹介された。宮根はスタジオへ続く通路に並べられた過去のニュースのパネルを見ながら登場し、番組が積み重ねてきた5134回という数字を伝えた。
スタジオにはガダルカナル・タカ、アンミカ、杉山愛、丸岡いずみらが出演。番組を支えてきた出演者たちとともに、最後の生放送が進行した。
日刊スポーツの最終回報道でも、初回映像から始まった振り返りや、宮根の登場シーン、コメンテーターの顔ぶれが伝えられている。
【終了発表から最終回まで】ミヤネ屋20年の歴史と重要な転換点
ミヤネ屋の終了は、突然決まったように見えるかもしれない。しかし、実際には宮根自身が20年という節目を意識し、番組側と話し合いを重ねたうえで決断したものだった。
ここでは、放送開始から全国ネットへの拡大、歴代MCの交代、終了発表までを時系列で振り返る。
ミヤネ屋の20年間を時系列で整理宮根誠司を中心とする番組だった一方、読売テレビの女性アナウンサーたちも重要な役割を担ってきた。
歴代のMC担当アナウンサーは次のとおり。
- 森若佐紀子:2007年4月1日~2011年4月1日
- 川田裕美:2011年4月4日~2015年2月27日
- 林マオ:2015年3月2日~2020年7月31日
- 澤口実歩:2020年8月3日~2025年3月28日
- 西尾桃:2025年3月31日~最終回
この変遷から見えてくるのは、番組の基本的な個性を宮根が担いながら、アナウンサーの交代によって進行体制を更新してきたということだ。
特に2025年3月に就任した西尾桃アナウンサーは、最終回までの約1年半、宮根とともに番組を支えた存在となった。
20年間に伝えてきた日本の重大ニュースミヤネ屋の20年間は、日本社会が大きく変化した時期と重なる。
最終回の振り返りでは、東日本大震災、新型コロナウイルスの感染拡大、安倍晋三元首相銃撃事件、旧統一教会問題など、社会に大きな影響を与えたニュースが取り上げられた。
また、政治や事件だけでなく、スポーツ、芸能、災害、日常生活に関わる話題も扱ってきた。
午後の情報番組として、硬いニュースと身近な話題を同じ時間帯に届ける。この幅広さが、ミヤネ屋の番組としての特徴だった。
【宮根誠司の卒業理由】なぜ20年の節目で番組を離れたのか?
ミヤネ屋の放送終了を考えるうえで、最も重要なのが宮根誠司自身の決断だ。
2026年2月12日、宮根は番組の最後に生出演し、約4分間にわたって視聴者や関係者への感謝と卒業の理由を語った。
宮根が明かした卒業の本当の理由宮根が説明したのは、年齢や体力的な問題による単純な引退ではなく、仕事への向き合い方を改めて見つめ直したいという思いだった。
発表では、元気なうちにもう一度、局アナ1年目のような気持ちに戻り、がむしゃらに仕事に取り組みたいと説明している。
宮根が語った言葉の中でも、卒業の決意を象徴するのが次の一節だ。
「まだ元気なうちに、もう一度局アナの1年目のような気持ちに戻って」
この発言から読み取れるのは、長年続けてきた仕事を終えること自体よりも、新しい挑戦に向けて自分の気持ちを切り替えたいという意識である。
宮根は、フリーアナウンサーになってから番組にはいつか終わりが来ると覚悟していたことも説明した。
過去にも卒業を考えたことがあったものの、そのたびに読売テレビなどから慰留され、番組を続けてきたという。
37年間続けた平日帯番組への思い終了発表で印象的だったのは、宮根がミヤネ屋だけでなく、自身のアナウンサー人生全体を振り返ったことだ。
宮根は、局アナ時代も含めて26歳から63歳になる年まで、37年間にわたり月曜日から金曜日の帯番組に携わってきたと説明した。
毎日の生放送は、単発の番組出演とは仕事の性質が異なる。
日々変化するニュースを把握し、出演者やスタッフと連携しながら、決められた時間内に情報を伝え続けなければならない。
長期間にわたって平日の午後を担当することは、仕事と生活の両面で大きな責任を伴う。
20年という節目で新しい仕事に挑戦したいと考えた背景には、こうした長いキャリアも関係していると考えられる。
読売テレビ側も慰留していた宮根の卒業は、一方的に番組側が降板を決めたものではない。
2026年2月12日の発表では、読売テレビや日本テレビ系列の関係者、スポンサーなどから、もう少し続けてほしいという慰留があったことも明かされた。
共同通信の報道によると、読売テレビの松田陽三社長も定例記者会見で、20年を一区切りとしたいという宮根の意向を尊重したと説明している。
つまり、番組終了の直接的な背景として確認できるのは、宮根本人の節目に対する思いと、それを受け入れた制作局側の判断である。
視聴率低迷や不祥事などが終了の決定的な原因だったとする公式説明は出ていない。
番組スタッフとの関係も卒業発表の要点宮根は、番組を支えたスタッフへの感謝も長く語った。
特に印象的なのは、自分自身の司会者としての評価よりも、20年間にわたって企画を生み出してきたスタッフを評価したことだ。
番組独自の名物コーナーや挑戦的な企画が生まれたのは、制作現場の努力があったからだと振り返っている。
また、スタッフとは仕事以外でも食事や旅行、ゴルフなどをともにする関係だったと明かした。
20年間を「楽しくできた20年」と振り返ったことからも、宮根にとってミヤネ屋が単なる出演番組ではなかったことがうかがえる。
【最終回の特別企画】藤井聡太六冠と杉本昌隆八段の師弟インタビュー
2026年10月2日の最終回で大きな注目を集めたのが、特別企画「あのニュースの主役を直撃&大表彰SP」だった。
読売テレビの公式告知によれば、この企画では20年間の放送を彩った各界の著名人に直接取材し、感謝を込めた表彰状を贈呈。出演当時のエピソードや、今だから話せる話題を聞き出す構成となっていた。
その中心的な企画の一つが、将棋界の藤井聡太六冠と師匠・杉本昌隆八段へのインタビューだった。
藤井聡太と杉本昌隆の師弟インタビューが実現今回の取材は、最終回にして初めて実現した師弟そろってのインタビューだった。
宮根が藤井と杉本のもとを訪れ、将棋における師弟関係や普段の生活、プライベートに関する話題まで幅広く質問した。
将棋界では、AIによる棋譜分析や研究が進み、対局の準備や技術向上の方法も変化している。
その中で、師匠と弟子の関係がどのような意味を持つのかという話題は、将棋ファンにとっても興味深いテーマだ。
最終回にこの取材を配置したことは、番組が長年追いかけてきたニュースの主役に、最後にもう一度向き合うという企画の趣旨にも合致していた。
宮根が藤井聡太に結婚について直球質問インタビューでは、宮根らしい率直な質問も飛び出した。
日刊スポーツの2026年10月2日の報道によると、宮根が藤井に結婚について尋ねると、藤井は現段階ではあまり考えていないと回答。
そのうえで、ジムには通った方がいいかもしれないと笑顔で返した。
このやり取りでは、杉本八段から意外なエピソードも明かされた。
杉本の妻が地元のスポーツジムで管理栄養士をしており、杉本自身がそのジムに通っていたことが、妻との交際につながったという話だ。
藤井も師匠のエピソードを初めて聞いた様子だったと報じられている。
名物企画「勝負メシ封じ手」の懐かしい映像も登場ミヤネ屋と藤井聡太の関係を振り返るうえで欠かせないのが、タイトル戦での昼食、いわゆる「勝負メシ」をめぐる企画だ。
番組では、杉本八段が藤井の昼食を予想する「勝負メシ封じ手」というコーナーを展開していた。
2021年6月30日の放送では、杉本が王位戦第1局の昼食として「あいち牛 ビーフカレーライス」を的中させた。
ところが、その直後に藤井の敗戦が決まり、杉本の表情が変化するという印象的な場面が生まれた。
最終回では、この過去の映像も改めて紹介された。
藤井は映像を見て、師匠に読み切られるような甘い手を指してはいけないと笑顔でコメントしたと日刊スポーツが伝えている。
20年分の名場面と大物出演者からのメッセージ藤井・杉本のインタビュー以外にも、最終回には複数の特別企画が用意された。
読売テレビが事前に公表していた主な内容は次のとおり。
- 20年間の放送から厳選した名場面集
- 過去に出演した大物芸能人たちからのメッセージ
- ニュースの主役への直撃取材と表彰状の贈呈
- 天気予報での名物出演者のスペシャル復活
- 超大物俳優をめぐる予想外の展開
特に芸能ニュースや天気中継は、ミヤネ屋らしさを象徴する企画だった。
政治・社会のニュースを伝える一方で、芸能人への取材やユニークな中継も積極的に取り入れる。その幅広さが20年間の番組の個性を形づくっていた。
【ミヤネ屋最終回の出演者】宮根誠司と最後のスタジオを彩ったメンバー
最終回では、宮根誠司だけでなく、番組を支えてきたコメンテーターや出演者も登場した。
日刊スポーツが報じた最終回のスタジオ出演者は以下のとおり。
| 出演者 | 最終回での役割 |
|---|---|
| 宮根誠司 | メインMC |
| ガダルカナル・タカ | コメンテーター |
| アンミカ | コメンテーター |
| 杉山愛 | コメンテーター |
| 丸岡いずみ | コメンテーター |
| 西尾桃 | 読売テレビアナウンサー |
また、番組の放送記録には、藤村幸司、中山正敏、岡田良昭、楠紗友里、東ふき、橋口秀一らの名前も出演者として記載されている。
最後のMC・西尾桃アナウンサー2025年3月31日からMCを担当していた西尾桃アナウンサーも、ミヤネ屋の最終回を迎えたメンバーの一人だ。
西尾は番組終了後の新番組『ニュースto』でも、リポーターと隔週金曜日のサブMCを担当することになった。
読売テレビの発表では、宮根から学んだスピード感を新番組でも生かしたいという本人のコメントが紹介されている。
この点は、ミヤネ屋の終了が出演者や制作スタッフの活動すべての終了を意味するわけではないことを示している。
【放送終了後はどうなる?】後番組「ニュースto」と昼の情報番組の新しい方向性
ミヤネ屋終了後の午後1時55分枠では、2026年10月5日から読売テレビの新番組『ニュースto(にゅーすと)』がスタートした。
最終回の3日後に新しい番組が始まったことで、午後の情報番組の体制も大きく変化した。
新番組のMCは黒木千晶と村上信五読売テレビが発表した『ニュースto』の出演体制は次のとおり。
| 担当 | 出演者 |
|---|---|
| 月~木曜メインMC | 黒木千晶 |
| 隔週金曜メインMC | 黒木千晶 |
| 毎週金曜MC | 村上信五(SUPER EIGHT) |
| 月~木曜サブMC | 岩原大起 |
| 隔週金曜サブMC | 西尾桃 |
番組は毎週月曜日から金曜日の午後1時55分~午後3時50分、全国28局ネットで放送される。
ミヤネ屋とニュースtoの大きな違い興味深いのは、両番組の制作コンセプトに違いがあることだ。
読売テレビのプロデューサー対談では、ミヤネ屋について宮根を中心に会話をつくる番組だったと説明されている。
一方、新番組では黒木千晶と村上信五という異なる経歴を持つMCに、世代の異なる5人のパネリストが加わり、複数の視点からニュースを考える構成を目指している。
| 比較項目 | ミヤネ屋 | ニュースto |
|---|---|---|
| 番組の中心 | 宮根誠司 | 黒木千晶・村上信五 |
| 番組の特徴 | MCを中心に展開する会話 | MCと複数のパネリストによる対話 |
| 制作の方向性 | ニュースと芸能・生活情報を幅広く扱う | ニュースを暮らしにつなげる |
| 番組開始 | 2006年7月31日 | 2026年10月5日 |
20年続いた番組を振り返ると、宮根の存在感が大きかったことは間違いない。
しかし、宮根自身が終了発表で強調したのは、スタッフが生み出した企画や番組独自の名物コーナーだった。
ここに、ミヤネ屋の長寿を考えるうえで重要な視点がある。
長寿番組は、単に一人の人気司会者だけで成立するわけではない。ニュースを選ぶ制作力、取材網、出演者との関係、視聴者が親しみを感じる演出など、複数の要素が積み重なって初めて継続できる。
新番組『ニュースto』がミヤネ屋の後枠を引き継いだことも、読売テレビが午後の情報番組という時間帯の価値を維持しながら、新しい番組像を模索していることの表れだ。
【プロの結論】ミヤネ屋最終回が示したテレビ情報番組の20年と次の時代
ミヤネ屋の終了を、単純に人気番組が一つなくなったという話だけで捉えるのは十分ではない。
2006年に関西ローカルで始まった番組が、全国ネットへと広がり、20年間にわたって平日の午後にニュースを届け続けた。その過程では、社会情勢や視聴者の関心、テレビを取り巻く環境も変わってきた。
その中で、宮根の歯切れのよい進行や、ニュースの当事者に直接切り込むスタイルは番組の大きな特徴となった。
一方で、最終回の特別企画に藤井聡太と杉本昌隆の師弟インタビューを選んだことにも意味がある。
事件や政治の記録だけでなく、スポーツや文化、芸能に関わる人物の素顔まで取り上げることで、番組が扱ってきた情報の幅広さを示したからだ。
終了理由について知っておきたい3つの判断基準ミヤネ屋の終了をめぐる情報を正しく理解するには、次の3点を押さえておきたい。
1. 番組終了と宮根の卒業は密接に関係している
宮根本人が卒業を申し出たこと、読売テレビ側がその意向を尊重したことが報道されている。番組終了を単純に視聴率低迷の結果と判断する根拠はない。
2. 9月末という発表と10月2日の最終放送を区別する
終了発表時の説明は9月末だったが、実際の最終回は10月2日。最終放送日を調べる場合は、読売テレビの公式告知を基準にするのが確実だ。
3. 宮根の卒業と番組スタッフの活動終了は別の話
後番組『ニュースto』では、黒木千晶、村上信五、西尾桃らが新しい体制で出演している。制作現場が次の番組へ引き継がれていることも見逃せない。
【ミヤネ屋最終回に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:ミヤネ屋の最終回はいつ放送されましたか?
2026年10月2日(金)午後1時55分から午後3時50分まで放送されました。最終回は通算5134回目で、全国28局ネットで放送されました。
Q2:ミヤネ屋が放送終了した理由は何ですか?
宮根誠司自身が20年という節目に新しい仕事へ挑戦し、自分を見つめ直したいという思いから卒業を申し出ました。読売テレビ側も慰留したものの、最終的には本人の意向を尊重しています。
Q3:宮根誠司はミヤネ屋を何年間担当しましたか?
2006年7月31日の番組開始から2026年10月2日の最終回まで、約20年間にわたってメインMCを務めました。
Q4:ミヤネ屋最終回に藤井聡太は出演しましたか?
はい。宮根誠司が藤井聡太六冠と師匠の杉本昌隆八段を訪問し、最終回の特別企画で師弟そろってのインタビューが実現しました。
Q5:ミヤネ屋の最終回に出演したコメンテーターは誰ですか?
ガダルカナル・タカ、アンミカ、杉山愛、丸岡いずみらが出演しました。宮根誠司が最後のメインMCを務め、西尾桃アナウンサーらも番組に関わりました。
Q6:ミヤネ屋の後番組は何ですか?
2026年10月5日から『ニュースto』がスタートしました。月曜日から木曜日と隔週金曜日は黒木千晶、毎週金曜日はSUPER EIGHTの村上信五がMCを担当しています。
Q7:ミヤネ屋の最終回は何回目の放送でしたか?
通算5134回目です。2006年7月31日の初回放送から約20年間、平日の午後に放送されました。
『情報ライブ ミヤネ屋』は、2026年10月2日の最終回をもって20年間の歴史に幕を下ろした。
2006年7月31日の関西ローカル番組としてのスタートから、2008年の全国ネット進出、歴代MCの交代、社会を揺るがすニュースの数々。最終回の5134回という数字には、番組が積み重ねてきた時間が表れている。
宮根誠司が卒業を決めた理由は、20年という節目で新しい挑戦に向かい、自分自身を見つめ直したいという思いだった。
そして最後の特別企画では、藤井聡太六冠と杉本昌隆八段の師弟インタビュー、懐かしい勝負メシ企画、20年間の名場面など、ミヤネ屋らしい幅広い内容が届けられた。
番組は終了したが、読売テレビの午後の情報番組は『ニュースto』へと引き継がれている。
ミヤネ屋が残した最大の財産は、宮根誠司という司会者の存在だけではなく、ニュースを身近なものとして届け続けた20年間の番組づくりそのものだった。
その歴史は、通算5134回という記録とともに、2026年10月2日という日付に刻まれた。