炎鵬の再起を理解するには、2023年の休場から2026年の関取復帰までを時系列で見ると分かりやすくなります。
特に注目したいのは、2024年に土俵へ戻った後も、さらに別の怪我に見舞われていたことです。
炎鵬の怪我・休場・復帰の時系列報道および日本相撲協会の力士プロフィールをもとに整理
脊髄損傷から復帰した後も、炎鵬の道のりは平坦ではありませんでした。
2025年7月の名古屋場所では、7日目の取組で左脚を痛め、途中休場。検査の結果、左腓骨の剥離骨折と判明しました。
さらに2026年1月場所では、関取復帰が目前に迫ったところで左足首を2か所骨折していたことが明らかになりました。
2月27日の日刊スポーツの取材では、炎鵬自身が足首の内側と外側を骨折していたと説明しています。
それでも3月の春場所に出場し、東幕下4枚目で5勝2敗を記録しました。
大きな怪我を乗り越えた後にも、再び身体の故障と向き合わなければならなかったのです。
【炎鵬と宮城野部屋・伊勢ヶ濱部屋】所属変更と人物プロフィール

炎鵬の復帰を語るうえでは、所属部屋の変化も重要です。
入門時は宮城野部屋に所属炎鵬は石川県金沢市出身。横綱・白鵬の内弟子として、宮城野部屋に入門しました。
2017年3月場所で初土俵を踏み、2018年3月場所で新十両、2019年5月場所で新入幕を果たしています。
最高位は東前頭4枚目。小柄な体格ながら、相手の懐に入る技術や多彩な決まり手で存在感を示しました。
2019年7月場所では技能賞を受賞しています。
2024年に伊勢ヶ濱部屋へ移籍2024年4月、宮城野部屋の閉鎖に伴い、炎鵬を含む所属力士は伊勢ヶ濱部屋へ移りました。
この移籍は、長期休場からの復帰を目指す炎鵬にとって、稽古環境が変わる大きな転機でした。
新たな師匠は元横綱・照ノ富士の伊勢ヶ濱親方です。
また、部屋付きの玉垣親方(元小結・智乃花)から「足るを知る」という考え方を教わったことも、2026年の本人インタビューで紹介されています。
以前のように相撲が取れない時期を経験したからこそ、少しずつできることを増やす姿勢が、リハビリにもつながったと考えられます。
炎鵬友哉のプロフィール大相撲・伊勢ヶ濱部屋
- 生年月日:1994年10月18日
- 出身地:石川県金沢市
- 本名:中村友哉
- 身長:167cm
- 体重:107kg
- 初土俵:2017年3月場所
- 新十両:2018年3月場所
- 新入幕:2019年5月場所
- 最高位:東前頭4枚目
- 得意技:左四つ・下手投げ
- 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
なお、検索されることの多い「炎鵬友哉 本名」という疑問については、炎鵬友哉は現在の四股名で、本名は中村友哉です。
宮城野部屋への入門時から応援してきたファンにとっては、所属部屋が変わっても炎鵬の名前を守りながら競技を続けていることも印象的なポイントでしょう。
【炎鵬の現在は?2026年最新】3年ぶりの関取復帰と11月場所の番付
2026年の炎鵬は、すでに関取復帰を果たしています。
2026年3月25日、日本相撲協会の番付編成会議で再十両昇進が決定。5月場所から3年ぶりに関取として土俵に戻りました。
2026年3月、幕下5勝2敗で再十両を決める2026年春場所の炎鵬は東幕下4枚目。
左足首の骨折から完全に回復したとはいえない状態で臨んだ場所でしたが、5勝2敗という好成績を残しました。
これにより、2023年夏場所以来となる十両復帰が決まりました。
スポニチによると、幕内経験者が序ノ口まで番付を落とした後、再び関取に復帰したのは大相撲史上初のケースです。
約3年間の休場と下位番付での再出発を経て、前例のない復活を実現しました。
2026年5月場所は8勝7敗で勝ち越し2026年5月場所は西十両14枚目でスタートしました。
関取復帰直後の場所で、負け越せば幕下に陥落する可能性もある厳しい位置でした。
しかし、炎鵬は初日から白星を重ね、13日目に勝ち越しを決定。最終的に8勝7敗で場所を終えました。
7月の名古屋場所でも8勝7敗を記録し、十両での地位を維持しています。
一方、9月の秋場所は7勝8敗。1勝差で負け越しましたが、11月場所も十両に残りました。
2026年11月場所の最新番付日本相撲協会の公式力士プロフィールによると、2026年11月場所の炎鵬の番付は次のとおりです。
2026年11月場所東十両10枚目
前場所の成績(9月)
7勝8敗
7月場所
8勝7敗
5月場所
8勝7敗
所属部屋
伊勢ヶ濱部屋
11月場所は11月8日初日。11月6日時点では今場所の取組は始まっていません。
今後の注目点は、十両で勝ち越しを重ね、さらに上の番付を目指せるかどうかです。
また、2026年5月のスポニチ報道では、炎鵬が関取在位30場所という年寄襲名資格の基準まで残り1場所だったことも、復帰への動機の一つとして紹介されました。
関取復帰は、競技人生を続けるうえでも大きな意味を持つ節目だったのです。
【プロの結論】炎鵬の復活劇から見える本当のすごさ
炎鵬の怪我と復帰を振り返ると、注目すべき点は大きく3つあります。
1. 怪我からの復帰と関取復帰は別の目標だった2024年7月の序ノ口復帰は、420日ぶりに本場所の土俵へ戻ったという意味で大きな成果でした。
しかし、関取に戻るには、その後も何場所にもわたって勝ち続けなければなりません。
2024年7月に復帰してから2026年5月に再十両となるまで、約1年10か月を要しました。
怪我が治ったからといって、すぐに元の番付に戻れるわけではありません。相撲勘、筋力、持久力、実戦感覚を一つずつ取り戻す必要がありました。
2. 炎鵬の復帰は単なる精神論では説明できない炎鵬の再起には、本人の努力だけでなく、医療機関での治療、専門トレーナーによる身体機能の回復、所属部屋の関係者による支援がありました。
特に、脊髄損傷という重大な怪我を経験した後に、身体の使い方から見直した点は重要です。
根性だけで元の身体を取り戻したという美談ではなく、専門的な支援と段階的なトレーニングを積み重ねた結果として理解するべきでしょう。
3. 2026年の現在も復活の途中にある2026年11月現在、炎鵬は十両に復帰しています。
ただし、最高位の前頭4枚目に戻ったわけではありません。9月場所では負け越しており、今後も番付を維持しながら勝ち星を積み重ねる必要があります。
ファンが注目したいのは、単に幕内へ戻れるかどうかだけではありません。
- 15日間を安定して戦えるか
- 怪我を再発させずに相撲を続けられるか
- 十両で勝ち越しを重ねられるか
- 再び幕内の土俵に立てるか
こうした点を追うことで、炎鵬の現在地をより正確に理解できます。
【炎鵬の怪我】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:炎鵬の怪我はいつ起きたのですか?
2023年5月の夏場所中です。5月22日の9日目に貴健斗との取組を終えた後、部屋に戻って倒れ、病院で検査を受けました。その後、10日目から休場しています。
Q2:炎鵬の怪我は脊髄損傷ですか?
2026年の復帰報道では脊髄損傷と伝えられています。また、2023年当時の報道では頚部椎間板ヘルニアという診断名も使われていました。首の怪我が深刻化し、身体の運動機能や感覚にも影響が出たとされています。
Q3:炎鵬は自力で立てなくなったのですか?
はい。負傷直後は自力で立ち上がることも難しく、入院中は約2週間、ほぼ寝たきりだったと報じられています。
Q4:炎鵬はいつ土俵に復帰しましたか?
2024年7月15日の名古屋場所2日目です。420日ぶりに序ノ口の土俵へ戻りました。
Q5:炎鵬はいつ関取に復帰しましたか?
2026年3月25日に再十両昇進が決定し、5月場所から関取に復帰しました。関取としての本場所復帰は約3年ぶりです。
Q6:炎鵬は引退したのですか?
引退していません。怪我の際には医師から相撲を諦めるよう勧められ、本人も引退を何度も考えたと明かしています。しかし、治療とリハビリを経て競技を続け、2026年11月現在も伊勢ヶ濱部屋所属の現役力士です。
Q7:炎鵬の本名と現在の所属部屋は?
本名は中村友哉です。出身は石川県金沢市。入門時は宮城野部屋に所属していましたが、2024年の部屋閉鎖に伴い伊勢ヶ濱部屋へ移籍しました。
Q8:炎鵬は2026年11月現在、何枚目ですか?
東十両10枚目です。2026年9月場所は7勝8敗で負け越しましたが、11月場所も十両の地位を維持しています。
炎鵬の怪我は、2023年夏場所で表面化した脊髄損傷の大けがでした。
入院中は約2週間寝たきりとなり、医師からは相撲を続けることを諦めるよう勧められました。一時は日常生活にも支障が出るほどの状態でしたが、専門的なリハビリと周囲の支援を受けて、2024年7月に土俵へ復帰しました。
その後も左脚や左足首の骨折という試練がありましたが、2026年3月に再十両昇進を決定。5月場所では3年ぶりに関取の地位を取り戻しました。
2026年11月現在は東十両10枚目。まだ幕内復帰という目標は残されています。
炎鵬の本当の復活は、怪我を乗り越えて土俵に戻ったことだけではなく、再び関取として15日間を戦えるところまで歩みを進めたことにあります。
これからも身体を大切にしながら、どこまで番付を上げていくのか。小兵力士・炎鵬の挑戦は続いています。
主な情報源:日本相撲協会公式力士プロフィール、日刊スポーツ、スポニチアネックス、TBS NEWS DIG、デイリースポーツ、Smart FLASH(2026年11月時点の公開情報)。