SUPER EIGHTの横山裕さんの母親は、2010年5月16日、虚血性心疾患によって亡くなりました。当時の横山さんは29歳。母親が旧ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)に履歴書を送ったことが芸能界入りのきっかけの一つとなり、苦しい生活の中で3人の子どもを育てた母親の存在は、横山さんの人生に大きな影響を与えています。
母親の享年については50歳と51歳の2種類の情報があり、報道によって表記が異なります。また、母親との死別後には弟が記憶を失う出来事もありました。2025年の24時間テレビ出演、2026年5月の「アナザースカイ」、同年8月の「おしゃれクリップ」で語られたエピソードを手掛かりに、母親の人物像から家族の歩み、死別後の横山さんの思いまで整理します。
【横山裕の母は現在どうしている?2010年5月16日に亡くなった経緯】

横山裕さんの母親は、すでに亡くなっています。2026年11月現在、母親が存命であることを示す情報はなく、2010年5月16日の死去が報じられています。
亡くなった原因は虚血性心疾患です。女性自身やスポーツニッポンなどの報道では、青森でのコンサートを控えていた横山さんに、弟から母親が突然倒れたとの連絡が入ったと伝えられています。
当時の横山さんは29歳。知らせを受けたものの、母親の最期に立ち会うことはできませんでした。突然の別れだったこともあり、その後も横山さんにとって母親の死は人生で大きな意味を持つ出来事として語られています。
母親の死因は虚血性心疾患虚血性心疾患とは、心臓の筋肉に十分な血液が届かなくなることで起こる心臓の病気の総称です。代表的なものに狭心症や心筋梗塞があります。
横山さんの母親について報じられている死因は、この虚血性心疾患です。以前にはがんを患い、手術を受けたことも女性自身の報道で紹介されています。
ここで区別しておきたいのは、がんは過去に患った病気として報じられ、2010年の死因は虚血性心疾患とされている点です。両者を同じ病気として扱うのは正確ではありません。
青森のコンサート直前に届いた突然の知らせ女性自身の2025年2月の記事によると、母親が亡くなったのは、横山さんが青森でコンサートを行う直前のことでした。
当日の公演では、横山さんが母親への思いを込めて詞を書いた楽曲「オニギシ」もセットリストに入っていたと伝えられています。
母親に直接感謝を伝える機会を失った悲しみと、それでもステージに立たなければならない状況。仕事と家族への思いが交差したこの出来事は、横山さんの人生を語るうえで欠かせないエピソードです。
【履歴書を送った母親】横山裕がジャニーズに入ったきっかけ
横山裕さんの芸能界入りには、母親の行動が大きく関係していました。
女性自身が紹介した経歴によると、母親は横山さんの履歴書を当時のジャニーズ事務所に送りました。横山さんが中学3年生だった1996年のことです。
横山さん自身は、芸能界入りに向けて最初から積極的だったわけではありません。友人との話がきっかけとなり、履歴書を用意したものの、実際に応募するまでには母親の後押しがありました。
1996年、中学3年生で芸能活動をスタート母親が履歴書を送ったことで書類審査を通過し、横山さんはオーディションを経て芸能活動を始めました。
この一歩が、後の関ジャニ∞、そして現在のSUPER EIGHTにつながっていきます。
横山さんは中学卒業後、家計を助けるために高校へ進学せず、建設会社に就職しました。工事現場で働きながら芸能活動を続け、時には作業着のまま事務所のレッスンに向かうこともあったと、2025年のORICON NEWSの報道で紹介されています。
当時の横山さんにとって、芸能活動は単なる夢ではありませんでした。母親と弟たちを支えるために収入を得ること、そして芸能界で成功して家族の生活を安定させることが大きな目標になっていたのです。
母親は子どもを優先して育てた人物2025年8月の24時間テレビ関連の取材で、横山さんは幼少期の家庭環境について語っています。
幼い頃は経済的に余裕がなかったものの、母親は子どもたちに貧しさを強く意識させないように接していたといいます。自分のことよりも子どもたちに何かをしてあげたいという姿勢が、横山さんの記憶に残っています。
母親が芸能界入りを後押ししたことと、働きづめになりながら3人を育てたことは、別々のエピソードではありません。横山さんが芸能界で活動を続ける背景には、家族の生活を少しでも良くしたいという思いがありました。
【横山裕の生い立ちと家族の経緯】弟2人が児童養護施設で暮らした理由
横山裕さんは大阪府出身の3人兄弟の長男です。1981年5月9日生まれで、STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでもSUPER EIGHTのメンバーとして紹介されています。
幼少期に両親が離婚し、母親と暮らすようになった横山さん。その後、母親が再婚し、6歳下と8歳下の弟が生まれました。
弟たちは横山さんにとって大切な存在でした。しかし、家庭の経済状況や母親の健康問題によって、兄弟が一緒に暮らせない時期が訪れます。
母親の病気と離婚によって家庭環境が変化母親はがんを患い、入退院を繰り返すなど、健康面でも厳しい状況に置かれていました。さらに再婚相手との離婚が重なり、家計を維持することが難しくなります。
2025年8月30日のデイリースポーツの報道では、横山さんは母親との離婚後、弟2人が一時的に児童養護施設で生活することになったと説明しています。
当時、弟たちはまだ幼く、横山さん自身も20歳になる前でした。家族を支えなければならないという思いから、中学卒業後に建設会社で働き、芸能活動にも打ち込んでいたのです。
弟たちを支えるために一家の大黒柱へ母親の死後、横山さんは弟たちと生活し、父親代わりとして成長を見守るようになりました。
横山さんは以前から、弟たちが独り立ちするまで支えるという思いを持っていたと報じられています。弟が大学進学を希望した際には学費を負担し、生活面だけでなく将来の選択肢も支えました。
その後、次男は結婚し、三男は税理士になるという目標を実現したと紹介されています。幼い頃に施設で暮らした弟たちが、それぞれの人生を歩めるようになったことは、横山さんにとって大きな意味を持つ出来事でした。
2025年の24時間テレビで児童養護施設を再訪2025年、横山さんは日本テレビ系「24時間テレビ48」のチャリティーマラソンランナーを務めました。
走る理由の一つとして語られたのが、弟たちが児童養護施設で生活した経験です。番組関連の企画では、弟がかつてお世話になった施設を約20年ぶりに訪問しました。
当時の施設職員が記録していた日誌には、テレビに映る兄を見て喜んでいた弟の様子や、横山さんに会いたがっていた様子などが残されていました。
横山さんにとって、弟たちが施設でどのように過ごしていたのかを知ることは、過去の家族の時間を改めて見つめ直す機会になったといえます。
【横山裕の母は50歳?51歳?】死去日・死因・家族の年表を比較
横山裕さんの母親について調べると、享年が50歳と書かれた情報と51歳と書かれた情報が見つかります。
特に2026年8月31日のスポニチアネックスの記事では51歳と報じられた一方、女性自身の2023年の記事や一部のプロフィール系資料では50歳とされています。
母親の生年月日を確定できる公表資料が見当たらないため、年齢の違いを決着させることはできません。死去日と死因については複数の報道が一致しています。
横山裕と母親・弟たちの主な出来事| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1981年5月9日 | 横山裕さん誕生 | 大阪府出身。3人兄弟の長男。 |
| 幼少期 | 両親の離婚と母親の再婚 | 母親と暮らし、その後2人の弟が生まれる。 |
| 1996年 | 芸能界入り | 母親が旧ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがきっかけ。 |
| 中学卒業後 | 建設会社に就職 | 工事現場で働きながら芸能活動を続ける。 |
| 10代後半 | 弟たちが児童養護施設で生活 | 母親の病気や離婚、経済的な事情が背景にあった。 |
| 2010年5月16日 | 母親が死去 | 虚血性心疾患。享年は50歳・51歳と報道により異なる。 |
| 2016年6月18日 | 次男の結婚式 | 横山さんが三男とともにサプライズ演奏を披露。 |
| 2025年8月 | 24時間テレビ出演 | 弟たちが暮らした児童養護施設を訪問。 |
| 2026年5月9日 | アナザースカイ出演 | 弟とのセブ島旅行や母親の死後に起きた記憶喪失について語る。 |
| 2026年8月30日 | おしゃれクリップ出演 | 母親の死の翌日に支えてくれた月亭八光さんとの思い出を明かす。 |
年齢の違いを整理すると、次のようになります。
- 50歳:女性自身の2023年2月の記事などで紹介された年齢。
- 51歳:2026年8月31日付のスポニチアネックスの記事で紹介された年齢。
- 共通する事実:2010年5月16日に虚血性心疾患で亡くなったという日付と死因。
ここで注意したいのは、2026年の報道で51歳と紹介されたからといって、過去の50歳という記載が自動的に訂正されたわけではないことです。
母親の生年月日が明らかになっていない以上、どちらか一方を確定した享年として扱うのは難しい状況です。記事やプロフィールによって表記が異なることを理解しておくと、検索結果を見た際の混乱を避けられます。
【2026年最新】横山裕の弟が記憶喪失に?母の死とセブ島旅行の関係
横山裕さんの母親の死後、家族に起きた出来事として大きな反響を呼んだのが、次男の記憶喪失です。
2026年5月9日放送の日本テレビ系「アナザースカイ」で、横山さんは弟2人との初めての海外旅行について振り返りました。行き先はフィリピンのセブ島です。
母親の死による精神的ショックで弟の記憶が失われた横山さんによると、母親が亡くなった際、次男は大きなショックを受けて倒れ、病院に運ばれました。
その後、弟の記憶が約2年分なくなっていたことを明かしています。弟は母親が亡くなったという説明を理解できず、横山さんに電話をかけてきたこともあったそうです。
2026年5月10日付の日刊スポーツなどの報道によると、横山さんは記憶を失った背景について、精神的なショックと栄養不足が影響していたと説明しています。
当時、医師からは日常生活を続けることで記憶が戻る可能性もある一方、戻らない可能性もあると伝えられたといいます。
その後、弟の記憶は回復しました。スポニチアネックスの2025年2月の記事では、母親の死から約2年後、弟が突然母親の死を思い出して泣き出したエピソードも紹介されています。
兄弟でセブ島を訪れた理由は楽しい思い出を作るため横山さんが弟たちを初めて海外旅行に連れて行った理由は、単なる観光ではありませんでした。
母親の死によってつらい経験をした弟に、楽しい記憶を作ってあげたいという思いがあったのです。
2026年5月の「アナザースカイ」では、横山さんが約15年前に訪れたフィリピン・セブ島を再訪。今回は末弟とともに、かつて兄弟で訪れた思い出の場所を巡りました。
特に印象的なのが、横山さんが15年間変えていない携帯電話の待ち受け写真です。そこには、セブ島で撮影した横山家3兄弟の写真が使われていました。
本人は、3人で旅行したことがよほど嬉しかったのだろうと振り返っています。長い年月が経っても、その写真を変えていないことから、兄弟旅行が横山さんにとって特別な思い出であることが伝わります。
弟たちとの関係は現在も続いている「アナザースカイ」では、末弟の充さんも出演し、兄としての横山さんについて語りました。
幼い頃は厳しく叱られることもあったものの、横山さんは弟たちにとって頼れる兄だったといいます。横山さん自身も、兄として弟たちを守り、時には厳しく接してきたことを振り返っています。
母親を亡くした後も兄弟の関係が続き、現在は一緒に旅行を楽しめるまでになったことは、横山家の歩みを知るうえで重要な出来事です。
【横山裕の母との死別後】支えてくれた月亭八光と弟の結婚式
母親を亡くした横山さんを支えたのは、弟たちだけではありませんでした。2026年8月30日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」では、母親が亡くなった直後に横山さんを気遣った人物として、落語家の月亭八光さんの名前が挙がりました。
母親が亡くなった翌日、月亭八光が東京へ2026年8月31日付のスポニチアネックスによると、月亭八光さんは横山さんの母親が亡くなった翌日、わざわざ東京まで会いに来てくれたそうです。
横山さんによると、八光さんは母親の死について詳しく尋ねることなく、食事に誘いました。
「ご飯を食べよう」
食事を終えると、八光さんは大阪へ戻ったといいます。
母親を亡くした直後の横山さんに対して、無理に事情を聞いたり、励ましの言葉を並べたりするのではなく、ただ一緒に食事をする。その距離感が、横山さんにはとても嬉しかったと紹介されています。
母親との別れを経験した横山さんにとって、こうした周囲の人々の気遣いは、長く心に残る支えになったのでしょう。
次男の結婚式では3カ月間トランペットを練習母親の死後、弟たちの成長を見守ってきた横山さんにとって、次男の結婚式も忘れられない出来事です。
スポニチアネックスの2025年2月の記事によると、次男の結婚式は2016年6月18日に行われました。
横山さんは三男と協力し、披露宴でサプライズ演奏をすることを計画。仕事の合間を使って約3カ月間トランペットを練習しました。
演奏したのは、福山雅治さんの楽曲「家族になろうよ」です。
演奏の直前には、次男から横山さんへの感謝の手紙が読み上げられました。弟から兄への感謝の言葉に、横山さんは涙を抑えられなかったといいます。
弟の結婚式は、横山さんにとって、それまで弟たちを支えてきた時間を振り返る特別な一日になりました。
母親を亡くした後、弟たちがそれぞれの人生を歩み、家庭を築いていく。その姿を見届けられたことは、長男として家族を支えてきた横山さんにとって大きな喜びだったと考えられます。
【プロの結論】横山裕の母親のエピソードから見える家族の絆
横山裕さんの母親について伝えられているエピソードを時系列で見ると、単に「苦労した母親」と「母親を亡くした息子」という関係だけでは説明できません。
母親は、経済的に余裕のない生活の中でも3人の子どもを育て、横山さんの芸能界入りを後押ししました。その一方で、病気や家庭環境の変化によって、家族が離れて暮らす時期もありました。
横山さんは中学卒業後から働き、芸能活動を続けながら弟たちを支えました。母親の死後も、弟の記憶が戻ることを願って旅行を計画し、進学や結婚など人生の節目を支えてきました。
2026年の報道で注目すべき3つのポイント- 母親の存在:芸能界入りを後押ししただけでなく、横山さんの家族観や仕事への向き合い方にも影響を与えた。
- 弟たちとの関係:児童養護施設での生活、記憶喪失、セブ島旅行、結婚式など、家族としての歩みが続いている。
- 周囲の支え:月亭八光さんをはじめ、母親との死別後に横山さんを支えた人々の存在が2026年の番組で改めて紹介された。
横山裕さんの母親について検索する場合、特に注意したいのが享年の表記です。50歳と51歳という違いは、報道によって実際に存在しています。
そのため、年齢だけで情報の正確性を判断するのではなく、2010年5月16日という死去日、虚血性心疾患という死因、横山さん本人が番組で語った家族の出来事を分けて確認することが大切です。
また、母親のがんの経験と、亡くなった際の死因を混同しないことも重要です。
こうした点を押さえると、ネット上で繰り返される情報の違いに惑わされず、横山家の歩みをより正確に理解できます。
【横山裕の母】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:横山裕の母親は何歳で亡くなった?50歳と51歳のどちら?
A1:2010年5月16日に亡くなりました。女性自身の2023年の記事などでは50歳、スポニチアネックスの2026年8月31日の記事では51歳と紹介されています。母親の生年月日を確認できる公表資料がないため、享年は資料によって異なります。
Q2:横山裕の母親の死因は何?
A2:虚血性心疾患と報じられています。以前にがんを患っていたことも紹介されていますが、2010年の死因として伝えられているのは虚血性心疾患です。
Q3:横山裕の母親はジャニーズに履歴書を送った?
A3:はい。女性自身の報道によると、母親が当時のジャニーズ事務所に履歴書を送り、1996年、中学3年生だった横山さんが芸能活動を始めるきっかけになりました。
Q4:横山裕の弟が児童養護施設に入ったのはなぜ?
A4:母親の病気や再婚相手との離婚、経済的な事情が重なったためです。弟2人は一時的に児童養護施設で生活していました。2025年には横山さんが24時間テレビの企画で当時の施設を訪れています。
Q5:横山裕の弟は母親の死後に記憶喪失になった?
A5:横山さん本人が2026年5月の「アナザースカイ」で明かしています。母親の死による精神的ショックや栄養不足が影響し、次男の記憶が約2年分失われたと説明しました。その後、記憶は回復しています。
Q6:横山裕が弟たちとセブ島旅行をした理由は?
A6:母親の死後、記憶を失った弟に楽しい思い出を作ってあげたいという思いがあったためです。2026年5月の「アナザースカイ」では、約15年前の兄弟旅行の思い出の地を末弟と再訪しました。
横山裕さんの母親は、2010年5月16日に虚血性心疾患で亡くなりました。享年は50歳と51歳の両方の表記があり、資料によって異なります。
母親は生活が苦しい中でも3人の子どもを育て、横山さんの芸能界入りを後押しした人物でした。中学卒業後に建設会社で働きながら芸能活動を続けた横山さんも、母親や弟たちを支えるために努力を重ねてきました。
母親との死別後には、弟の記憶喪失や児童養護施設での生活など、家族にとって厳しい出来事もありました。それでも兄弟は互いに支え合い、弟の結婚式やセブ島旅行など、新しい思い出を積み重ねています。
2026年の「アナザースカイ」や「おしゃれクリップ」で語られたエピソードからも、母親との思い出が横山さんの人生に深く残っていることが伝わります。
母親が送った一通の履歴書から始まった芸能人生。そして、弟たちを支えながら歩んできた年月。横山裕さんの家族の物語は、母親との死別だけではなく、その後も続いてきた兄弟の絆によって形作られています。
主な根拠資料: STARTO ENTERTAINMENT公式プロフィール、女性自身、ORICON NEWS、スポニチアネックス、日刊スポーツ、日本テレビ「アナザースカイ」公式番組情報。