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【2026年最新】上本崇司の現在は?引退後の仕事と広島カープとの関係

雨宮 沙夜 雨宮 沙夜 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

上本崇司さんの現在を語るうえで、見逃せないのが現役引退後の進路です。実は、野球界から完全に離れたわけではありません。

広島東洋カープは2025年12月8日、上本さんが球団スタッフに就任することを発表しました。2026年1月1日付で「情報処理部 情報分析課 アナリスト」に就任し、主に2軍の野手を担当することになりました。

現役時代の経験を生かし、若手選手の成長をデータ面から支える仕事です。

2軍野手専任アナリストとしての新しい役割

アナリストの仕事は、選手の感覚や経験だけに頼らず、数値を使ってパフォーマンスを分析することです。

具体的には、次のようなデータを扱います。

- スイングスピード
- スイングの軌道
- 打球速度
- 打球角度
- 選手ごとの打撃傾向や改善点

ブラストモーションなどの機器を活用し、分析結果を選手に伝えて技術向上につなげます。

興味深いのは、上本さん自身が現役時代について、データよりも感覚を重視していたと振り返っている点です。

本人は、もっとデータを活用できたのではないかという反省も語っています。その経験が、今後の指導や若手とのコミュニケーションに生かされる可能性があります。

スポニチの取材では、次のような抱負を明かしています。

「若い選手に1軍で活躍してもらいたい一心でやっていきたい」

選手として一軍の定位置を確保する難しさを知り、複数ポジションを守りながらチームに貢献してきた上本さんだからこそ、若手の悩みに寄り添える部分もあるはずです。

2026年の上本崇司さんは、現役時代とは異なる立場から、引き続き広島東洋カープを支えています。

【引退理由を検証】上本崇司が戦力外通告を受けた経緯

上本崇司

2025年10月1日 引退決断

上本崇司さんの引退は、球団からの戦力外通告を受けたことが直接のきっかけでした。

ただし、単純に戦力外になったから引退したという話ではありません。本人のインタビューからは、身体の状態、年齢、実力、チーム内での立場を総合的に考えたうえでの決断だったことが分かります。

9月30日の連絡から10月1日の決断まで

広島アスリートマガジンの引退後インタビューでは、上本さん自身が決断までの経緯を詳しく説明しています。

本人によると、球団から連絡があったのは2025年9月30日でした。

翌日に球団との話し合いが予定されていることを察し、来季の構想から外れる可能性を感じていたといいます。

そして10月1日、広島から来季の契約を結ばない旨を伝えられました。

上本さんは、その時点で他球団に移って現役を続ける考えはなかったと明かしています。

「もう戦力外と言われたら、野球をするつもりはありませんでした」

この発言は、引退の決断が突然の思いつきではなかったことを示しています。

引退理由① 長年のプレーによる身体への負担

日刊スポーツの取材で、上本さんは13年間のプロ生活を振り返り、身体の状態について率直に話しました。

「正直体もボロボロなので」

プロ野球選手は、年間を通じて試合、練習、移動を繰り返します。

特に上本さんの場合、代走や守備固めなど、短い出場機会で結果を求められる役割が多くありました。

試合終盤の守備固めでは、たった一度のミスが勝敗を左右することもあります。代走では、短い距離の全力疾走や走塁判断が大切です。

こうした役割を長年担ってきたことも、身体への負担を考えるうえで重要な背景です。

実際、近年は故障による離脱が続き、2025年シーズンもリハビリに時間を費やしました。

引退理由② 年齢と実力、若手への世代交代

2025年8月22日に35歳を迎えた上本さんは、チーム内での自分の立ち位置についても冷静に考えていました。

引退後のインタビューでは、チームの若返りを考えれば、自分より若い選手に出場機会を与える方が現実的だと感じていたことを明かしています。

加えて、本人は一軍で結果を残すことの重要性も認識していました。

二軍では一定の打撃成績を残していたものの、本人にとっては一軍で結果を出せなければ意味がないという考えがありました。

つまり、単に試合に出られなくなったから引退したのではありません。

身体の状態と競技力、年齢、チーム事情を踏まえ、現役にこだわり続けないという選択をしたのです。

広島からの戦力外通告は何を意味したのか

戦力外通告は、球団が翌シーズンの選手契約を結ばない意思を伝えるものです。

2025年10月1日、広島は上本さんを含む8選手に来季の契約を結ばない旨を通告しました。

同じ日に通告された選手には、松山竜平さん、田中広輔さん、宇草孔基さん、中村健人さんらが含まれています。

球団全体として選手構成を見直す時期にあったことも、背景の一つです。

ただし、上本さん個人への通告理由を、特定の故障や成績だけに限定することはできません。本人の振り返りからも、複数の事情を踏まえた決断だったことが読み取れます。

【経歴・NPB年度別成績】上本崇司はどんな選手だった?

上本崇司さんは、広島県福山市出身の元プロ野球選手です。

1990年8月22日生まれで、右投右打。身長170センチ、体重76キロ。広陵高校、明治大学を経て、2012年のドラフト3位で広島東洋カープに入団しました。

NPB公式記録によるプロフィールは次のとおりです。

上本崇司の基本プロフィール

- 名前:上本崇司(うえもと・たかし)
- 生年月日:1990年8月22日
- 出身地:広島県福山市
- 投打:右投右打
- 身長・体重:170センチ・76キロ
- 出身高校:広陵高校
- 出身大学:明治大学
- ドラフト:2012年ドラフト3位
- 所属球団:広島東洋カープ
- 現役期間:2013~2025年
- 主な守備位置:内野手・外野手
- 背番号:0

守備位置は内野・外野の6ポジション

上本さんの大きな特徴は、複数のポジションを高い水準で守れるユーティリティー能力でした。

主に経験した守備位置は次の6つです。

- 二塁手
- 三塁手
- 遊撃手
- 左翼手
- 中堅手
- 右翼手

2021年には二塁、三塁、遊撃、左翼、中堅、右翼の6ポジションで守備に就いています。

2023年も投手、捕手、一塁手以外のポジションで起用され、打順も1番から8番まで経験しました。

この柔軟性は、広島にとって大きな戦力でした。

レギュラー選手の故障や休養に対応できるだけでなく、試合終盤の守備固めや代走としても起用できるためです。

上本崇司のNPB年度別成績

以下はNPB公式サイトに掲載されている一軍打撃成績です。2015年は一軍年度別成績の掲載がありません。

出典:日本野球機構(NPB)公式個人年度別成績。2025年シーズン終了時。

年度 試合 打率 安打 本塁打 打点 盗塁 {#each [ ["2013","30",".077","2","0","2","0"], ["2014","18",".286","2","0","0","0"], ["2016","7",".000","0","0","0","0"], ["2017","37",".125","1","0","0","3"], ["2018","59",".091","1","0","0","6"], ["2019","31",".143","3","0","0","0"], ["2020","56",".212","11","0","4","2"], ["2021","63",".273","15","0","2","2"], ["2022","94",".307","80","2","18","2"], ["2023","84",".259","64","1","17","8"], ["2024","62",".209","27","0","7","0"], ["2025","21",".185","5","0","0","0"], ["通算","562",".250","211","3","50","23"] ] as r} {r[0]} {r[1]} {r[2]} {r[3]} {r[4]} {r[5]} {r[6]} {/each} 関係者 実兄は元阪神タイガースの上本博紀。2020年には広島と阪神の兄弟が同じ試合で二塁手・2番打者として先発 2026年 広島東洋カープの情報処理部・情報分析課アナリストに就任。主に2軍野手を担当

キャリアの転換点は2022年

成績の中でも特に注目したいのが2022年です。

この年、上本さんは初めて開幕スタメンに名を連ねました。

結果は自己最多の94試合出場、80安打、打率.307、2本塁打、18打点。規定打席には届かなかったものの、打撃面でも存在感を示しました。

それまで代走や守備固めを中心に起用されていた選手が、打撃でもチームに貢献するようになったシーズンです。

2023年には新井貴浩監督のもとで打順4番も経験しています。

特に2023年7月22日の中日戦では、4番打者として4打数2安打を記録しました。本人も引退後のインタビューで、この試合を13年間で印象深い出来事として挙げています。

上本さんのキャリアは、単なる守備要員から、打撃でも存在感を示す選手へと変化していった歩みでもありました。

【兄弟関係を解説】上本崇司と上本博紀はどんな関係?


上本崇司

弟・1990年8月22日生まれ
広陵高校・明治大学出身。広島東洋カープで2013~2025年にプレー。



上本博紀

兄・1986年7月4日生まれ
広陵高校・早稲田大学出身。阪神タイガースで選手として活躍し、引退後はコーチに転身。

上本崇司さんの実兄は、元阪神タイガースの上本博紀さんです。

2人はともに広島県福山市出身で、広陵高校に進学した野球経験者です。ただし、大学は異なり、兄は早稲田大学、弟は明治大学に進んでいます。

兄・上本博紀は阪神タイガースで活躍

兄の上本博紀さんは、2008年ドラフト3位で阪神に入団しました。

2010年から2020年まで阪神の選手としてプレーし、内野手として活躍。2014年には選手会長に就任するなど、チームを支える存在でした。

その後、2024年から阪神のコーチ陣に加わり、2026年の公式サイトでも監督・コーチプロフィールに掲載されています。

2020年には兄弟そろって同じ試合にスタメン出場

上本兄弟には、プロ野球ファンの記憶に残る出来事があります。

2020年7月4日、マツダスタジアムで行われた広島対阪神戦です。

この試合では、阪神の兄・博紀さんと広島の弟・崇司さんが、そろって2番・二塁手として先発出場しました。

兄弟が同じ試合で同時にスタメン出場するのは初めてのことでした。

日刊スポーツは、兄弟が敵味方に分かれ、同じ打順・同じ守備位置で先発することについて、65年ぶりの珍しい記録として報じています。

同じ野球の道を歩みながら、異なる球団で活躍した兄弟ならではのエピソードです。

なお、兄弟それぞれの現在の立場は異なります。兄は阪神のコーチ、弟は広島の球団アナリストとして、それぞれの球団で野球に携わっています。

【引退コメントと最終戦】上本崇司が13年間で残したもの

2025年10月4日、マツダスタジアムで行われたヤクルト戦は、上本さんにとって現役最後の試合となりました。

試合は広島が1対3で敗れましたが、上本さんには最後の打席が用意されました。

最後の打席は涙の代打出場

7回1死から代打として登場した上本さん。

打席に向かう前から13年間の記憶がよみがえり、涙をこらえきれなかったといいます。

結果は5球目を打った遊撃ゴロでした。それでも右足を痛めている状態で一塁まで懸命に走り抜けました。

試合終了後には引退セレモニーも行われ、球団やファンに感謝の気持ちを伝えています。

日刊スポーツによると、最後のセレモニーでは次の言葉を残しました。

「もう感無量です。幸せすぎます」

ファンへの感謝と新井監督への思い

RCC中国放送が伝えた引退セレモニーのスピーチでは、松田オーナーをはじめとする球団関係者、新井貴浩監督、チームメート、裏方スタッフ、トレーナー、そして家族への感謝を語っています。

特に印象的なのは、新井監督を胴上げできなかったことが心残りだと話した部分です。

上本さんは、翌年以降のチームが新しい力を加え、優勝を目指していくことへの期待も口にしました。

華やかな個人記録を並べるのではなく、周囲の支えがあったから13年間プレーできたという姿勢が、最後のスピーチにも表れていました。

引退後も福山市とのつながりを大切に

2025年11月19日には、故郷の福山市を訪問し、枝廣市長に現役引退を報告しました。

また、現役最後の試合で使用したスパイクを市に寄贈しています。

このスパイクは松永はきもの資料館で展示されることになりました。

地元の子どもたちに野球やカープに興味を持ってほしいという思いも語っており、福山市とのつながりは引退後も続いています。

【プロの結論】上本崇司の13年間は数字だけでは評価できない

上本崇司さんのプロ野球人生を評価するとき、打率や本塁打数だけを見ると、本当の貢献は見えてきません。

通算成績は562試合、211安打、3本塁打、50打点、打率.250です。

一方、彼の価値は、複数ポジションを守れること、試合状況に応じて代走や守備固めを担えること、そしてチームの雰囲気を支える役割にもありました。

ユーティリティープレーヤーの価値とは

プロ野球では、すべての選手がレギュラーとして試合に出続けられるわけではありません。

ベンチから試合に入り、短い時間で結果を出す選手も必要です。

上本さんは、そうした役割を長年担ってきました。

特に次の3点は、彼のキャリアを理解するうえで重要です。

1. 守備の柔軟性:内野と外野の6ポジションを経験し、選手起用の選択肢を広げた。
2. 走塁と守備の専門性:試合終盤の代走や守備固めでチームを支えた。
3. 役割への適応力:レギュラー獲得だけに固執せず、自分がチームに貢献できる方法を追求した。

本人も引退後のインタビューで、プロ入り1年目ごろにはレギュラー獲得が難しいと感じ、どうすればプロの世界で生き残れるかを考えるようになったと振り返っています。

この考え方が、13年間にわたる現役生活を支えた大きな要因だったのでしょう。

引退はキャリアの終わりではなく役割の転換

今回の引退で注目したいのは、広島が上本さんを球団スタッフとして迎えたことです。

現役時代に経験した複数ポジションでの守備、打撃の試行錯誤、故障との向き合い方、若手選手との関わり。

これらは、データ分析を担当する立場でも生かせる経験です。

特に本人が現役時代にデータを十分に活用できなかったと振り返っている点は興味深いところです。

選手としての経験を分析に結びつけ、若手選手に伝える。これは単なる球団スタッフへの転身ではなく、野球との関わり方そのものを変える挑戦です。

上本崇司さんの引退は、広島での13年間を終える決断であると同時に、次の世代を育てる新しいキャリアの始まりでもあります。

【よくある質問】上本崇司の現在・引退・兄弟関係について

Q1:上本崇司は現在何をしていますか?

A1:2026年1月1日付で広島東洋カープの情報処理部・情報分析課アナリストに就任しました。主に2軍の野手を担当し、データ分析を通じて若手選手の成長を支える仕事に携わっています。

Q2:上本崇司が引退した理由は何ですか?

A2:2025年10月1日に広島から戦力外通告を受けたことがきっかけです。本人は身体の状態、年齢、実力を踏まえて現役続行を望最初に、13年間のプロ生活に区切りをつけました。

Q3:上本崇司の兄は誰ですか?

A3:実兄は元阪神タイガースの上本博紀さんです。兄は1986年生まれ、弟は1990年生まれで、2人とも広島県福山市出身、広陵高校の卒業生です。

Q4:上本崇司の通算成績は?

A4:NPB公式記録による通算一軍成績は562試合出場、211安打、3本塁打、50打点、23盗塁、打率.250です。

Q5:上本崇司は広島カープ一筋だったのですか?

A5:はい。2012年ドラフト3位で広島に入団し、2013年から2025年まで広島東洋カープでプレーしました。現役引退後も球団スタッフとして広島に残っています。

上本崇司さんは、2025年10月1日の戦力外通告を受け、13年間のプロ野球生活に幕を下ろしました。

引退を決断した背景には、長年のプレーによる身体への負担、故障、年齢、そしてチーム内での立場に対する冷静な判断がありました。

一方、現役時代には広島一筋で562試合に出場し、内野・外野の複数ポジションを守るユーティリティープレーヤーとして貢献。2022年には打率.307を記録し、2023年には4番打者も経験しました。

そして2026年、球団アナリストとして新しい野球人生をスタートさせています。

兄・上本博紀さんが阪神のコーチとして活動する一方、弟の崇司さんは広島で若手選手を支える立場になりました。

選手としてユニホームを脱いでも、カープへの思いは変わりません。今後は、現役時代に培った経験とデータ分析を組み合わせ、どのように若い選手の成長を後押ししていくのかが注目されます。

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デジタルマーケター 雨宮 沙夜
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