女優・伊原六花の芸能人生を語るうえで欠かせないのが、大阪府立登美丘高校で過ごした3年間だ。2015年に同校へ進学し、100人を超えるダンス部のキャプテンとして活動。振付師akaneが手掛けた「バブリーダンス」の中心メンバーとして全国的な注目を集め、高校卒業後には芸能界へと進んだ。
興味深いのは、伊原が最初から芸能界を目指していたわけではないことだ。もともとはミュージカルやダンスが好きな少女で、登美丘高校を選んだ理由も、ダンス部に入るためだった。高校時代には全国大会での悔しい敗北や、100人以上の仲間をまとめる難しさも経験している。
2026年11月現在は、俳優としてドラマや舞台に出演する一方、高校ダンス部の全国大会でスペシャルアンバサダーを務めるなど、ダンスとのつながりも続いている。進学理由、キャプテン時代の苦労、バブリーダンス誕生の背景、芸能界入りの経緯を時系列で整理する。
【出身高校は大阪府立登美丘高校】伊原六花が進学を決めた意外な理由

伊原六花の出身高校は、大阪府堺市にある大阪府立登美丘高校だ。所属事務所フォスターの公式プロフィールにも、登美丘高校ダンス部のキャプテンを務めた経歴が掲載されている。
1999年6月2日生まれ、大阪府出身の伊原は、2015年に高校へ進学した。当時からダンスやミュージカルに親しんでおり、幼少期には4歳からバレエを習っていた。小学校2年生ごろからミュージカルやヒップホップ、ジャズなどにも取り組み、舞台で表現することに強い関心を持っていた。
高校選びにおいても、単に通学しやすい学校や進学実績だけを重視していたわけではない。本人のインタビューによると、当初は別の高校を考えていたが、中学校の進路相談で登美丘高校を紹介されたことが転機になった。
進学理由はダンス部への憧れだった集英社のスポルティーバのインタビューでは、伊原が登美丘高校を知った経緯が詳しく紹介されている。
当時、住んでいた地域は登美丘高校とは学区が異なっていた。中学2年生のころに学区制度が緩和され、進学先として選択できるようになったという。
担任の先生からダンスが盛んな高校として登美丘高校を紹介された伊原は、インターネット上に公開されていたダンス部の動画を視聴した。そこで目にしたのが、ヒップホップやロックとは異なる、ミュージカルを思わせる華やかなダンスだった。
その表現スタイルに惹かれ、登美丘高校への進学を決意した。
「高校に入ったら絶対にダンス部に入ろうと思って、YouTubeで見た登美丘高校のダンスがキラキラしててカッコ良くて『絶対にココに入ろう!』って決めました」
これは2017年のダンス専門メディア「ダンスク!」のインタビューで語った内容だ。
当時の伊原は、登美丘高校に入るために勉強にも力を入れたという。本人によれば、中学生のころは学力的にまだ十分ではなかったが、努力を重ねて合格をつかんだ。
つまり、登美丘高校への進学は、バブリーダンスが流行した後に振り返って選ばれた学校ではない。本人がダンス部の活動に魅力を感じ、自ら目標に定めて進学した学校だった。
登美丘高校の偏差値は56?登美丘高校の偏差値についても検索されることが多い。
2026年度版の高校情報サイト「みんなの高校情報」では、登美丘高校の偏差値は56と掲載されている。同サイトの説明によれば、模試運営会社のデータをもとにした2026年4月入学生向けの参考値だ。
ただし、この数字は大阪府立登美丘高校が公式に発表した数値ではない。また、2026年度の入試難度を示すものであり、2015年に受験した伊原の当時の偏差値を直接示すものでもない。
伊原自身が明かしているのは、入学するために相当な勉強をしたということだ。偏差値だけでなく、目標を決めて努力し、希望する環境を自分で選び取った点にも高校進学の意味がある。
【100人超のダンス部キャプテン】伊原六花の高校時代は想像以上に厳しかった
部長からキャプテンへ。リーダーとしての苦悩登美丘高校のダンス部で伊原が務めたのは、100人を超える部員をまとめるキャプテンだった。
ただし、最初からリーダーとして順調だったわけではない。
2017年の「ダンスク!」のインタビューで、伊原は当初、部長のポジションに就いていたものの、うまく機能せず、途中で別のキャプテンと役割を交代したと振り返っている。
登美丘高校のダンス部では、部長とキャプテンの役割が必ずしも同じではなかった。伊原が説明したキャプテンは、いわばダンス面のリーダーだった。
交代に際しては意見の対立もあったが、部員同士で話し合い、納得したうえで新しい体制を築いたという。
伊原がリーダーとして大切にしていたのは、全員の意識や目標をそろえることだった。
一生懸命練習する部員は、十分に努力していないように見える仲間に不満を抱く。一方で、本人は頑張っているつもりでも、周囲には努力が伝わっていない場合もある。
そうした温度差をなくし、同じ目標に向かわせることがキャプテンの役割だった。
100人以上の部員が経験した過酷な練習環境2024年12月放送のTBS系『A-Studio+』では、伊原が高校時代の練習環境について改めて語っている。
当時は体育館を十分に使用できず、校舎の屋上で練習することが多かった。夏は直射日光で熱くなった床の上を裸足で踊り、冬には雪が降るような寒さの中でも練習を続けたという。
伊原によれば、激しいダンスでは上着を着ると体が重くなり、動きにくくなるため、できるだけ身軽な状態で踊っていた。
また、当時の部員は100人規模だったが、半数以上がダンス初心者だったことも明かしている。全国大会で優勝を目指す強豪校でありながら、全員が最初から高い技術を持っていたわけではなかった。
2019年の振付師akaneへのインタビューでも、練習場所は体育館だけではなく、廊下や屋上だったと説明されている。雨が降れば狭い廊下で一列になって練習することもあった。
こうした環境は、見栄えのするステージパフォーマンスとは対照的だ。完成した作品の華やかさの裏側には、限られた場所で何度も動きを合わせる地道な作業があった。
悔しい経験が伊原六花を成長させた高校時代の印象的なエピソードとして、ダンスの選考に落ちた経験も挙げられる。
伊原は2016年のダンスイベント「DANCE ALIVE」への出場オーディションに落選したことを振り返っている。経験者だった自分に慢心があったことにも気づき、悔しさをバネに練習を重ね、次のオーディションでは合格した。
また、2022年の毎日キレイのインタビューでは、高校2年生のころ、普段の練習風景を評価する選考で大会メンバーに選ばれなかった経験も語っている。
ダンスの出来栄えだけで判断されるなら納得できたが、普段の練習態度で評価されたことが悔しかったという。その後は部活動終了後も一人で練習し、追加審査に向けて努力した。
この経験から、結果だけでなく、日々の過ごし方そのものが評価につながることを学んだと振り返っている。
キャプテンという肩書きだけでは見えない、失敗や挫折を繰り返した高校生活だった。
【伊原六花の高校時代を年表で整理】登美丘高校での3年間と転機
伊原六花の高校時代を理解するには、ダンス部での活動と芸能界への転機を時系列で見ると分かりやすい。
| 時期 | 出来事・関係者 | 主な内容と意味 |
|---|---|---|
| 2015年 | 大阪府立登美丘高校に入学 | ダンス部に入部。キャプテンとして活動する時期を迎える。 |
| 2016年 | akane・ダンス部 | オーディションでの悔しい経験や、仲間との関係づくりを経験。 |
| 2016年末 | 振付師akane | 忘年会の余興をきっかけにバブリーダンスのアイデアが生まれる。 |
| 2017年 | DCC第5回大会 | バブリーダンスで優勝を果たす。 |
| 2017年夏 | 日本高校ダンス部選手権 | ビッグクラスで準優勝。三連覇には届かなかった。 |
| 2017年9月 | バブリーダンス動画公開 | YouTubeなどで大きな反響を呼び、全国的に知名度が上昇。 |
| 2017年末 | 荻野目洋子・NHK紅白歌合戦 | ダンス部がメディア出演を重ね、紅白歌合戦にも出演。 |
| 2018年 | 高校卒業・芸能活動 | 伊原六花として俳優活動を本格化。同年『チアダン』でドラマデビュー。 |
| 2026年 | DCC・俳優活動 | DCCスペシャルアンバサダーを務め、ドラマや舞台でも活動。 |
この年表で注目したいのは、2017年の大会結果だ。
登美丘高校は、2017年のDCC(全国高等学校ダンス部選手権)第5回大会で優勝している。一方、日本高校ダンス部選手権、通称ダンススタジアムの夏の全国大会では準優勝だった。
この2つは別々の大会である。登美丘高校が全国大会で優勝したという情報も、準優勝だったという情報も、競技会の名称を区別すれば矛盾しない。
また、当時の登美丘高校はダンススタジアムでの三連覇を目標にしていたため、準優勝という結果には悔しさも残った。
その悔しさが、結果的にバブリーダンスの動画制作に力を注ぐきっかけの一つになった。大会の順位だけでは測れない成果が生まれた瞬間でもあった。
【バブリーダンス誕生秘話】akaneと荻野目洋子がつないだ奇跡
発想の原点は2016年末の忘年会バブリーダンスを生み出したのは、登美丘高校ダンス部の卒業生であり、当時コーチを務めていた振付師のakaneだ。
意外にも、その発想の原点は大規模な大会やテレビ番組ではなかった。
2016年末、akaneがダンサー仲間との忘年会で披露した余興がきっかけだった。バブル時代を思わせる派手な衣装を着て、荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』に合わせて踊ったところ、会場が大いに盛り上がったという。
この経験から、akaneは高校生たちにもバブル時代をテーマにしたダンスを踊らせたら面白いのではないかと考えた。
2018年のMANTANWEBのインタビューでも、akaneは忘年会の余興がバブリーダンスの発想につながったと説明している。
荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』を選んだ理由使用された楽曲は、1985年に発売された荻野目洋子のヒット曲『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』だ。
80年代を象徴するディスコサウンドと、バブル期を連想させる衣装や髪型を組み合わせたことで、当時を知る世代には懐かしく、若い世代には新鮮に映る作品になった。
加えて、振付にはバブル時代のファッションや動きを思わせるコミカルな要素が取り入れられた。平野ノラのネタを連想させる演出も加わり、単なるダンスの技術披露ではなく、見る人を楽しませるエンターテインメントとして完成した。
akaneは2018年のインタビューで、お笑いの要素を入れ、幅広い人に楽しんでもらいたかったという制作意図を説明している。
準優勝の悔しさから動画制作に力を注ぐ2017年夏のダンススタジアム全国大会で、登美丘高校は準優勝となった。三連覇を目指していたチームにとって、決して満足できる結果ではなかった。
akaneは大会の結果に悔しさを感じ、せっかく作り上げた作品をより多くの人に見てもらうため、動画制作に力を入れた。
2017年9月に公開された動画は、振付だけでなく衣装、メイク、表情、映像編集まで作り込まれた作品だった。短い時間で印象を残す構成と、高校生とは思えないほどそろった群舞が反響を呼び、SNSを通じて急速に拡散した。
伊原も当時を振り返り、動画やSNSでの反応を見て、自分たちのスタイルが間違っていなかったと感じたと語っている。
荻野目洋子本人にも届いたパフォーマンス動画の反響は、楽曲を歌った荻野目洋子本人にも届いた。
荻野目はSNSで、楽曲を使用してくれたことへの感謝や、学園祭に行きたいという趣旨の反応を寄せた。ダンス部員たちは、まさか本人にまで動画が届くとは思っていなかったため、大きな喜びを感じたという。
その後、登美丘高校ダンス部と荻野目が共演する機会も実現し、楽曲の生歌に合わせて踊るという特別な経験につながった。
2017年末には第68回NHK紅白歌合戦や第59回日本レコード大賞にも登美丘高校ダンス部が出演。高校の部活動で作られた作品が、全国規模の音楽イベントへと発展した。
バブリーダンスの成功は、伊原六花個人の人気だけで生まれたものではない。振付師akaneの発想、部員全員の練習、荻野目洋子の楽曲、動画編集、SNSでの拡散が重なった結果だった。
【高校卒業後に芸能界入り】伊原六花がスカウトを受けた経緯
もともと芸能界を目指していたわけではなかったバブリーダンスによって知名度が上がった伊原六花だが、当初から芸能界を目指していたわけではない。
2023年のSTREAMのインタビューで、伊原は所属事務所から声を掛けられるまで芸能界について考えたことすらなかったと振り返っている。
高校時代はミュージカルやダンスが好きで、将来も表現に関わる仕事ができればという気持ちはあった。しかし、俳優として活動することが具体的な進路になっていたわけではなかった。
バブリーダンスの反響によってメディアへの出演が増え、その過程で芸能事務所からスカウトを受けたことが転機となった。
両親の後押しが東京行きを決断させた芸能界に入るかどうか、伊原自身はかなり悩んだという。
そこで背中を押したのが両親だった。
「こんなチャンスはなかなかないし、無理やったら帰ってきたらいいんやから、一回やってみいや」
STREAMのインタビューで紹介された、両親からの言葉だ。
伊原は事務所のスタッフと実際に話をしたことで安心感を持ち、挑戦する決意を固めた。本人も、断った後で再び挑戦したくなっても同じ機会が訪れるとは限らないと考え、思い切って飛び込んだと説明している。
2018年に俳優デビュー2018年3月に登美丘高校を卒業した伊原は、東京で新生活をスタートさせた。
同年にはTBS系ドラマ『チアダン』に出演し、俳優としてのキャリアを歩み始める。
2019年にはNHK連続テレビ小説『なつぞら』にも出演。その後もドラマ、映画、舞台、ミュージカルなど幅広い分野で活動を続けている。
2023年後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』への出演も、俳優としての認知を広げる機会となった。
興味深いのは、高校時代にダンス部のコーチだったakaneとの出会いが、芸能界の仕事を知るきっかけにもなったことだ。
2024年のBunkamura公式インタビューで伊原は、akaneがメディア取材に同席させてくれたことで、ショービジネスの現場や、一つの作品が完成するまでに関わる人々の仕事を知ることができたと振り返っている。
つまり、高校時代はダンスの技術を磨いただけの時間ではなかった。作品を作ること、チームで動くこと、メディアを通して表現を届けることなど、後の俳優活動につながる経験を積んだ時期でもあった。
【プロの結論】2026年最新活動から見える伊原六花と高校時代のつながり
2026年もダンスとの関係は続いている2026年11月現在、伊原六花は俳優としての活動を続けながら、高校ダンス界とのつながりも大切にしている。
その象徴的な活動が、エイベックス主催の第14回全国高等学校ダンス部選手権(DCC)のスペシャルアンバサダーだ。
2026年4月15日のエイベックス公式発表では、前年に続いて伊原がアンバサダーに就任したことが明らかにされた。自身が高校時代にDCC第5回大会でバブリーダンスを披露し、優勝した経験を持つことも紹介されている。
2026年8月26日に開催された決勝大会にも関わり、全国から集まった高校生ダンサーたちを応援した。テレビ朝日の2026年8月21日付報道でも、2年連続のアンバサダー就任と、優勝経験者として高校生にエールを送ったことが取り上げられている。
また、世界各国で上演されてきたダンスショー『バーン・ザ・フロア2026』でもスペシャルアンバサダーを務めている。高校時代の経験が、現在のダンス関連の仕事にもつながっている。
2026年11月現在の俳優活動所属事務所フォスターの公式プロフィールや関西テレビの番組情報によると、2026年はドラマ『小麦とバターと復讐と』に出演している。
同作は2026年10月7日にスタートした関西テレビ系のドラマで、伊原は主人公の辻岡ミチルを演じる。料理教室を舞台に、裏切りや人生のやり直しを描く作品だ。
加えて、2026年には舞台『いきなり本読み!in草月ホール』への参加も所属事務所の経歴に掲載されている。映像作品だけでなく、舞台でも表現の幅を広げている。
高校時代に培ったダンス経験は、現在の活動においても身体表現や舞台での存在感という形で生きている。
高校時代の経験から分かる3つの成長ポイント伊原六花の高校時代を振り返ると、芸能界で活躍する現在につながる重要な要素が3つ見えてくる。
1つ目は、集団の中で自分の役割を見つける力だ。
最初に務めた部長の役割がうまくいかず、キャプテンへと立場を変えた経験は象徴的だ。リーダーであることに固執するのではなく、話し合いを通じて自分に合った役割を見つけた。100人を超える集団をまとめた経験は、現在の撮影現場や舞台でのチームワークにも通じる。
2つ目は、結果が出ないときにも努力を続ける姿勢だ。
大会メンバーに選ばれなかった経験や、全国大会での準優勝は、本人にとって悔しい出来事だった。しかし、そこで努力を止めることなく、次の機会に向けて練習を重ねた。高校時代に培った粘り強さは、俳優として新しい役柄に挑戦する際にも役立つ基盤になっている。
3つ目は、表現をチームで作り上げる感覚だ。
伊原はBunkamuraのインタビューで、個人の習い事とは異なり、ダンス部では点数や勝敗、さまざまな制約がある中で作品を作ることを学んだと話している。加えて、群舞だからこそ生まれる表現や大きなエネルギーを知ったことも大きな収穫だったという。
俳優の仕事も、一人だけで完成するものではない。共演者、演出家、監督、スタッフと意見を交わしながら作品を作り上げていく。高校時代に経験した集団表現は、その仕事の土台になっている。
ここで大切なのは、伊原の高校生活を「バブリーダンスで有名になった3年間」という一つの出来事だけで理解しないことだ。入学前の努力、部員との衝突、選考での挫折、仲間との作品づくり、そして予想していなかった芸能界への転機が連続している。
高校時代の本当の価値は、話題になった動画の再生数や大会の順位だけでは測れない。自分の好きなことに本気で取り組み、仲間と一つの目標を追い続けた経験こそが、現在の伊原六花を形作っている。
【伊原六花の高校時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:伊原六花の出身高校はどこですか?
A1:大阪府堺市にある大阪府立登美丘高校です。2015年に入学し、ダンス部に所属してキャプテンを務めました。
Q2:伊原六花が登美丘高校に進学した理由は何ですか?
A2:中学校の進路相談で登美丘高校を紹介され、YouTubeでダンス部の動画を見たことがきっかけです。ミュージカルのような表現に魅力を感じ、ダンス部に入るために同校を志望しました。
Q3:登美丘高校の偏差値はいくつですか?
A3:2026年度版の「みんなの高校情報」では56と掲載されています。ただし、これは模試データをもとにした参考値であり、学校の公式発表値ではありません。
Q4:伊原六花はバブリーダンスで全国優勝したのですか?
A4:DCC第5回大会では優勝しています。一方、2017年夏の日本高校ダンス部選手権(ダンススタジアム)では準優勝でした。別々の大会の結果です。
Q5:伊原六花はどのように芸能界に入りましたか?
A5:高校時代のバブリーダンスが話題になったことをきっかけに芸能事務所からスカウトされました。本人は当初、芸能界を考えていませんでしたが、両親の後押しもあり挑戦を決め、2018年に俳優デビューしました。
Q6:伊原六花は2026年現在もダンスを続けていますか?
A6:はい。俳優活動と並行してダンス関連の活動も行っています。2026年には第14回全国高等学校ダンス部選手権のスペシャルアンバサダーや『バーン・ザ・フロア2026』のスペシャルアンバサダーを務めています。
伊原六花の高校時代は、大阪府立登美丘高校のダンス部で仲間とともに作品を作り、数々の挑戦と挫折を経験した3年間だった。
進学のきっかけは、YouTubeで見たダンス部のパフォーマンスへの憧れ。100人を超える部員をまとめるキャプテンとして、厳しい練習や人間関係の難しさにも向き合った。
そして、振付師akaneが考案したバブリーダンスが大きな反響を呼び、荻野目洋子との共演やNHK紅白歌合戦への出演など、普通の高校生活では経験できない出来事が続いた。その反響からスカウトを受け、2018年に俳優として新しい道を歩み始めた。
2026年現在も、伊原はドラマや舞台で活躍しながら、高校ダンス界を応援する立場としても活動している。
彼女の歩みを理解するうえで重要なのは、バブリーダンスの成功だけに注目しないことだ。入学を目指して勉強した努力、キャプテンとしての葛藤、選考に落ちた悔しさ、仲間との話し合い、そして新しい世界へ飛び込む決断。その一つ一つが、現在の俳優・伊原六花につながっている。
登美丘高校で過ごした3年間は、単なる有名人の青春エピソードではない。好きなことを追求し、仲間と挑戦し、自分の可能性を広げた時間だったのである。
主な根拠資料・取材記事