琴富士孝也さんは、1964年10月28日生まれ、千葉県出身の元大相撲力士です。本名は小林孝也(こばやし・たかや)。所属していたのは佐渡ヶ嶽部屋で、四股名は琴富士でした。
日本相撲協会の公式力士プロフィールにも、本名、所属部屋、初土俵、最高位、引退場所が記録されています。
琴富士孝也さんの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 琴富士孝也 |
| 本名 | 小林孝也 |
| 生年月日 | 1964年10月28日 |
| 出身地 | 千葉県 |
| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 初土俵 | 1980年3月場所 |
| 新入幕 | 1988年9月場所 |
| 新関脇 | 1990年7月場所 |
| 最高位 | 関脇 |
| 現役引退 | 1995年9月場所 |
| 幕内優勝 | 1回 |
| 敢闘賞 | 2回 |
出典:日本相撲協会公式プロフィール、共同通信配信、スポニチアネックス。
琴富士さんが相撲界に入ったのは、中学校を卒業した1980年です。15歳で佐渡ヶ嶽部屋に入門し、同年3月場所で初土俵を踏みました。
当時の佐渡ヶ嶽部屋は、琴風などの関取を擁する相撲部屋として知られていました。厳しい稽古を重ねながら番付を上げ、1986年には新十両、1988年には新入幕を果たします。
190センチを超える長身を生かした大きな相撲が特徴で、左四つからの寄りや右上手投げ、突っ張りなどを得意としていました。
1990年に関脇へ昇進入幕後も着実に実績を積み重ね、1990年7月場所で新関脇に昇進しました。
関脇は、大関に次ぐ三役の地位です。幕内上位で安定して結果を残さなければ昇進できないため、関脇まで上り詰めたこと自体が、琴富士さんの実力を示しています。
ただし、その後は成績や体調の変化もあり、番付を落とします。この経験が、翌年の劇的な優勝につながることになります。
【1991年名古屋場所】14勝1敗の平幕優勝はなぜ伝説になったのか

琴富士さんの現役時代を語るうえで、最も重要なのが1991年7月の名古屋場所です。
この場所で琴富士さんは、東前頭13枚目という番付から14勝1敗を記録し、幕内最高優勝を達成しました。
スポニチアネックスの報道によれば、平成時代に入って初めての平幕優勝という歴史的な記録でもありました。
初日から13連勝という快進撃1991年名古屋場所での琴富士さんは、初日から連勝を続け、13日目まで無敗を維持しました。
当時の番付は東前頭13枚目。横綱や大関といった上位力士ではなく、幕内の下位から優勝争いの先頭に立ったのです。
14日目には貴花田(後の横綱・貴乃花)に敗れましたが、最終的に14勝1敗で優勝を決めました。
この結果は、単なる好成績ではありません。
三役経験者が番付を下げた状態から再び力を発揮し、上位力士を含む幕内のライバルを抑えて頂点に立ったという点で、非常に印象的な優勝でした。
平幕優勝と関脇の違いに注意インターネットでは、琴富士さんについて「関脇優勝」と理解されることがありますが、これは正確ではありません。
- 最高位:関脇
- 1991年名古屋場所の番付:東前頭13枚目
- 優勝成績:14勝1敗
- 優勝の種類:平幕優勝
つまり、関脇まで昇進した実績を持つ力士が、前頭13枚目から幕内優勝を達成したということです。
最高位と優勝時の番付を区別すると、この記録の価値がより明確になります。
敢闘賞を2度受賞した実力者琴富士さんは幕内優勝だけでなく、三賞の一つである敢闘賞も2度受賞しています。
敢闘賞は、場所で目覚ましい活躍を見せた力士に贈られる賞です。
幕内で37場所を務め、関脇まで昇進した経歴と合わせて考えると、1991年の優勝が偶然の一場所だけの活躍ではなかったことが分かります。
【琴富士の生涯年表】相撲界から引退後までの転換点
琴富士さんの人生は、相撲界での成功、引退後の生活、2014年の事件、そして晩年の闘病という複数の転換点に分けられます。
主な出来事を時系列で整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 関係する人物・組織と意味 |
|---|---|---|
| 1964年10月 | 千葉県で誕生 | 本名・小林孝也 |
| 1980年3月 | 初土俵 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 1986年 | 新十両 | 関取への昇進 |
| 1988年9月 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 1990年7月 | 新関脇 | 最高位に到達 |
| 1991年7月 | 14勝1敗で初優勝 | 名古屋場所・平幕優勝 |
| 1995年9月 | 現役引退 | 年寄・粂川を襲名 |
| 1999年7月 | 相撲協会を退職 | 親方としての活動を終了 |
| 2014年2月 | 偽装結婚容疑で逮捕 | その後、同年5月に有罪判決 |
| 2021年2月 | 脳梗塞を発症 | 心臓手術前後に重い病状となる |
| 2022年4月 | リハビリ病院から退院 | 自宅療養へ |
| 2025年8月8日 | 60歳で死去 | 脳梗塞のため |
この年表から見えてくるのは、琴富士さんが30歳で現役を退いた後も、約30年間にわたって新しい仕事や活動に取り組んでいたことです。
相撲の成績だけで人物の全体像を判断することはできません。引退後の選択や社会との関わりも、彼の人生を理解するうえで重要な要素となっています。
【引退後の人生】日本相撲協会退職からタレント・相撲指導者への転身
1995年9月場所を最後に現役を引退した琴富士さんは、年寄名跡「粂川」を襲名しました。
その後、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進の指導に携わります。
しかし、親方としての生活は長く続きませんでした。
1999年に日本相撲協会を退職した理由琴富士さんは1999年7月に日本相撲協会を退職しています。
日刊ゲンダイの2021年の取材記事によれば、襲名していた年寄名跡は借り株だったため、返上することになったとされています。
年寄名跡は、引退した力士が親方として協会に残るために必要となる重要な制度です。
現役時代にどれほど実績を残していても、親方として活動を続けるには別の条件が伴います。
琴富士さんの場合、関脇まで昇進し幕内優勝も経験した一方、協会内での指導者生活は1999年に終わりました。
タレント活動や飲食業にも挑戦協会退職後は、相撲界以外の仕事にも取り組みました。
報道で確認できる主な活動は次のとおりです。
- テレビ番組などへの出演
- 飲食店での勤務や店舗運営
- タレント活動
- リラクセーションサロンの経営
- 相撲教室での指導
- YouTubeでの相撲解説
日刊スポーツの2025年の訃報記事では、焼き肉店の店長やタレントとして活動したことが紹介されています。
また、ギャンブルにのめり込んだ時期には生活が困窮し、2019年には家賃5万円、6畳一間のアパートで暮らす様子がテレビ番組で取り上げられたこともありました。
神戸で取り組んだ相撲指導と療育支援引退後の活動のなかでも注目したいのが、子どもたちへの相撲指導です。
2016年に神戸へ移り住んだ琴富士さんは、飲食店での仕事などを経験。その後、中学校時代の同級生との縁から、療育支援に携わるようになりました。
日刊ゲンダイの2021年2月のインタビューでは、発達障害のある子どもたちを対象に、相撲の基本動作を取り入れた支援活動を行っていたことが紹介されています。
具体的には、次のような運動を取り入れていました。
- 四股
- 伸脚
- 仕切り
- 体幹を鍛える運動
- 集団で楽しく体を動かす活動
相撲の基本動作を活用し、子どもたちが安全に身体を動かせるように工夫していたのです。
この活動は、単なる相撲教室とは異なり、元力士としての経験を子どもの発達支援に生かす取り組みでした。
また、2018年9月にはYouTubeチャンネル「琴富士チャンネル」を開始。本場所の取組解説や視聴者との交流にも取り組みました。
かつて土俵で戦っていた力士が、別の形で相撲に関わり続けていたことが分かります。
【2014年偽装結婚事件】逮捕の経緯と判決の内容
琴富士さんの引退後の人生を語る際、避けて通れないのが2014年の偽装結婚事件です。
この事件では、元関脇という知名度もあって大きく報道されました。
逮捕から起訴までの経緯2014年2月、警視庁は琴富士こと小林孝也さんを、虚偽の婚姻届を提出した疑いで逮捕しました。
事件の内容は、韓国籍の女性に日本での在留資格を取得させる目的で、実際には結婚する意思がないにもかかわらず婚姻届を提出したというものです。
デイリースポーツの2014年3月13日付報道によると、婚姻届が提出されたのは2013年2月6日。東京都台東区役所に提出されたとされています。
東京地検は2014年3月12日、公正証書原本不実記載・同行使の罪で小林被告らを起訴しました。
報道では、女性から小林被告に渡された報酬は約130万円とされています。
2014年5月1日に有罪判決東京地方裁判所は2014年5月1日、小林孝也被告に対し、次の判決を言い渡しました。
2014年5月1日・東京地方裁判所の判決
懲役1年6か月
- 罪名:公正証書原本不実記載・同行使
- 判決日:2014年5月1日
- 判決内容:懲役1年6か月、執行猶予3年
日刊ゲンダイの2021年の取材記事でも、逮捕が2014年2月、判決が同年5月だったことが確認できます。
この判決は執行猶予付きの有罪判決です。無罪や不起訴ではありません。
事件後、生活を立て直そうとした琴富士事件後の琴富士さんは、神戸に生活の拠点を移し、さまざまな仕事を経験しました。
2021年の日刊ゲンダイのインタビューでは、過去の行為について反省し、行動によって責任を示していきたいという趣旨を語っています。
また、同じ取材では、競馬を含むギャンブルを約4年間していないと説明していました。
2014年の事件だけを切り取ると、引退後の人生の一面しか見えません。その後、療育支援や相撲指導に取り組んだことも、本人の歩みを理解するうえで重要です。
【脳梗塞の闘病生活と死去】2025年8月8日、60歳で生涯を閉じる
琴富士さんの晩年は、重い病気との闘いでした。
2021年初頭、心臓のバイパス手術を控えていた時期に脳梗塞を発症。その後、長期の入院とリハビリを経験することになります。
2021年に脳梗塞を発症日刊ゲンダイが2023年1月に掲載した取材記事によると、琴富士さんは2021年2月、心臓のバイパス手術を受ける前後に脳梗塞を発症しました。
手術後も意識が戻らず、脳の腫れを防ぐため、同月21日に頭蓋骨の一部を取り外す減圧開頭術を受けたと報じられています。
その後の経過も厳しいものでした。
- 2021年2月:脳梗塞を発症し、頭蓋骨の一部を取り外す手術を受ける
- 2021年4月:リハビリ病院へ転院
- 2021年9月:誤嚥性肺炎を発症
- 2022年4月:約14か月の入院生活を経て退院
同記事によれば、脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残り、会話も難しい状態だったといいます。
退院後は訪問看護師や介護ヘルパーによる在宅ケアを受けながら生活していました。
脳梗塞の原因は何だったのか琴富士さんの病状については、糖尿病や高血圧、慢性腎臓病などの持病があったことが、日刊ゲンダイの2023年の記事で紹介されています。
また、冠動脈の狭窄が見つかり、心臓のバイパス手術を受けることになった経緯も報じられています。
ただし、これらの持病と脳梗塞の発症との個別の因果関係について、報道だけで医学的に断定することはできません。
確認できるのは、心臓の手術前後に脳梗塞を発症し、重い後遺症が残ったこと、そして長期にわたる療養生活を送っていたことです。
2025年8月8日に神戸市の自宅で死去2025年8月10日、共同通信やスポーツ各紙は、元関脇琴富士の小林孝也さんが亡くなったと報じました。
亡くなったのは2025年8月8日午前7時43分。場所は神戸市の自宅で、死因は脳梗塞と発表されました。
享年60歳でした。
葬儀・告別式は近親者で執り行われています。
日刊スポーツの報道では、2024年10月には意識がなくなっていたことも伝えられています。長く闘病を続けた末の死去でした。
現役時代には土俵で大きな体を生かした力強い相撲を見せ、引退後も相撲指導や療育支援に取り組んだ琴富士さん。晩年は病気によって活動が制限されるなかでも、相撲とのつながりを持ち続けていました。
【よくある質問】元関脇琴富士に関するFAQ
Q1:元関脇琴富士の本名は何ですか?
A1:本名は小林孝也(こばやし・たかや)です。1964年10月28日生まれ、千葉県出身で、佐渡ヶ嶽部屋に所属していました。
Q2:琴富士の最高位は何ですか?
A2:最高位は関脇です。1990年7月場所で新関脇に昇進しました。ただし、1991年の優勝時は東前頭13枚目でした。
Q3:琴富士が優勝したのは何年の何場所ですか?
A3:1991年7月の名古屋場所です。14勝1敗で幕内最高優勝を果たしました。初日から13連勝したことでも知られています。
Q4:琴富士の2014年の事件では、どのような判決が出ましたか?
A4:偽装結婚事件で、2014年5月1日に懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けました。
Q5:琴富士は現在どうしていますか?
A5:2025年8月8日に60歳で亡くなっています。死因は脳梗塞で、亡くなるまで闘病生活を送っていました。2026年現在、存命ではありません。
Q6:琴富士は敢闘賞を何回受賞しましたか?
A6:敢闘賞は2回受賞しています。幕内優勝1回と合わせ、現役時代に複数の実績を残しました。
【プロの結論】元関脇琴富士の生涯から読み解く相撲人生の光と影
琴富士孝也さんの生涯を振り返ると、1991年の名古屋場所での平幕優勝が、力士としての最大の功績だったことは間違いありません。
東前頭13枚目から14勝1敗という結果を残したことは、相撲史に残る印象的な記録です。最高位が関脇であること、敢闘賞を2度受賞していることも、競技者としての実績を裏付けています。
一方、引退後には日本相撲協会の退職、生活の困窮、2014年の有罪判決など、厳しい転換点がありました。
それでも、神戸での相撲指導や療育支援、YouTubeでの相撲解説など、再び自分の経験を社会に生かそうとした時期もありました。
琴富士さんの人生を評価するとき、次の3点を分けて考えることが大切です。
1. 競技者としての実績: 1991年の平幕優勝と関脇昇進は、記録に残る確かな功績。
2. 引退後の責任: 2014年の事件は有罪判決を受けた事実として、競技実績とは別に評価する必要がある。
3. 晩年の活動: 相撲指導や療育支援など、経験を次の世代に伝えようとした活動も人生の一部だった。
2026年現在、琴富士さんはもう土俵に戻ることも、新しい活動を始めることもありません。しかし、14勝1敗で賜杯を手にした1991年の姿と、相撲を愛し続けた人生は、これからも大相撲の記憶のなかに残ります。
元関脇琴富士・小林孝也さんは、栄光だけでも挫折だけでも語り尽くせない、波瀾に満ちた60年の人生を歩んだ人物でした。
彼の残した相撲の記録と、その後の歩みの双方を知ることが、琴富士という力士を正しく記憶することにつながります。